東京大学先端科学技術研究センター 協働事業

チガイ・ラボ  講座レポート

思い込みからの解放 - 統合失調症の当事者研究より -

今から20年以上前、北海道の小さな町・浦河で生まれた当事者研究。統合失調症などの精神障害を持った人たちが、自身の生きづらさや困りごとを“研究”し、仲間とともに対処法や理解を見出していこうという取り組みです。「自分自身で、ともに」という理念に込められた思いとは? 『浦河べてるの家』代表の向谷地生良先生と、ソーシャルワーカーで統合失調症の当事者でもある山根耕平さんにお話を伺いました。

※本記事は、すぎなみ大人塾総合コース2023『チガイ・ラボ』で行われたカリキュラムより抜粋・再編集したものです。

このレポート記事は、実際の講座内容をもとに要約したものです。実際の講座が気になる方は、ぜひ動画から体験してみてください。

目次

「囲学」「管護」「服祉」——精神医療の陥る病

向谷地生良先生:みなさん、こんにちは。向谷地です。北海道の浦河町でソーシャルワーカーとして働き、45年になります。浦河は、北海道の南部に位置する人口1万1千人程度の小さな町です。この辺鄙な過疎の町で、2001年、精神科病棟への入退院を繰り返す若者たちとともに始めたのが『当事者研究』でした。町でも一番惨めな現実に向き合っている人たちが、この現実を研究しようという志で立ち上がったのです。

[講座スライドより]

私は、1978年に、浦河赤十字病院の精神科病棟でソーシャルワーカーとしての勤務をスタートしました。そこで初めて精神医療の現場に足を踏み入れた私が目の当たりにしたのは、期待したはずの「医学」「看護」「福祉」ではなく、「学」「護」「祉」。つまり、「囲い込んで、管理して、服従を強いる」という精神医療の現実でした。

[講座スライドより]

憲法で保障され、私たちが当たり前のように享受して生きている“自由”を、精神科病棟は奪います。犯罪以外で唯一、「他者から拘禁されて自由に行動できず、自分で自分の人生を決めることができない状態に陥る」のが、精神の病の特徴です。その前提には、心の病気、特に『統合失調症』になった人は、自分が病気であることを自覚できず、判断能力を失って何かあっても責任を取れない人だという考えがあります。本人の代わりに精神保健指定医をはじめ、専門家や家族の判断によって、精神患者を拘束しても構わないという社会的合意のもと、私たちは社会を回しているのです。

日本のこの現状は、世界の先進国の中ではかなり非常識とされ、国連や海外のさまざまな人権機関からも問題を指摘されています。例えば、先進国の精神科病床数のうち、じつに4割が日本に集中しています。また、日本の統合失調症の患者は、他の先進国と比べて約5〜10倍という量の薬を飲んでいるにもかかわらず、先進国の5〜10倍の長さの入院を強いられているのです。

[講座スライドより]

精神科医や看護師、ソーシャルワーカーたちが、心に病を抱えた人たちを「囲い込んで」「管理して」「服従を強いる」というこのおぞましい現状は、まさに「精神医療の陥る病」だと私は思っています。病気を抱えた人たちが病気なのではなくて、病気の人たちをケアしている周りこそが病んでいる、というのが日本の精神医療の現実ではないでしょうか。 

心の病は、社会の問題が表出したもの

精神障害の病気を抱えた人々と長く付き合っていくうちに、「彼らは病気を持ってはいるが、健康的な部分がたくさんある。一方、一般健常者と言われている人たちは、病気こそ持っていないが病んでいる部分がたくさんある」と私は思うようになりました。

望まずして病気を経験した人たちのメンタルの根底には、たいてい「トラウマ」が潜んでいます。その人自身が抱えたさまざまな心の負担や傷、生きづらさ。そして、学校や家庭、職場など、私たちの社会全体が抱えているそのような負担が、彼らを通して表出しているのが、統合失調症も含めた「心の病」であり、私たちはむしろ彼らから学んでいかなければならないのではないでしょうか。

「病気」という形で彼らに負わせてしまったこの課題を学んでいくための循環をどうしたら起こせるだろうか。考えた先に、私たちは「金儲けしよう」と試みました。社会復帰ではなくて「社会進出」をしよう。作業ではなくて「起業」をしよう。職場で苦労して、仕事にも行けなくなった経験を持つ人たちが安心してサボれる、究極の会社を作ろう。そんな半分妄想的な志を抱えて、精神科を退院した若者たちと1984年に立ち上げたのが、『べてるの家』でした。私たちは、「地域で安心して暮らせることの実現」「経験を社会に発信すること」「安心して働ける職場づくりを目指すこと」「働く人たちが主役、人づくり、地域づくりへの貢献」といった柱を立てて、地域に繰り出していきました。

[講座スライドより]

以来、地元の日高昆布やイチゴなどを活かしたさまざまな商品作りのほか、自分たちの経験を本にして出版し、世に発信していくなどの活動を続けてきました。発足から40年経った今、べてるの家は90人近い職員が働く、浦河で5本指に入るほど大きな事業所となりました。

[講座スライドより]

「精神病床大国」「精神障害者の収容大国」として世界有数の日本。その現状を、北の浦河から何とか変えていこう。そんな取り組みを続けているうちに、浦河の精神科に入院する患者の数はどんどん減っていきました。以前は精神科病棟に入院していたような人たちが、べてるのグループホームで暮らし、地域で活動するようになったためです。一時130床あったベッドは、数を半数以下に減らしても埋まらなくなり、最終的には病床を閉じ、現在は地域生活支援に向けた体制を整えるにいたりました。地域の治療・支援を精神医療が独占していた時代から、「地域生活支援の一部を精神医療が担う」時代へ変わってきたと言えるでしょう。

[講座スライドより]

半分は薬で、半分は仲間と治す

そんな中で私たちを支えてきた一つのキーワードが、「ともに研究する」というものです。

統合失調症は、体の中で“指揮者”の役割を果たす、記憶や感情をまとめる機能が働かなくなった状態です。仲間の一人は「五感が幻になる体験」と言いました。ある調査によると、小学生の約2割近くが、「見えない・聞こえないはずのものを見たり聞いたりした経験」があるそうです。幻聴や幻視は決して珍しい経験ではない。しかし、何かしらストレスがかかったり、バランスが崩れたりすると、突然その声が暴走し始め、悪口や馬鹿にする幻聴になることがある。ここからは、そんな症状とどう向き合ってきたのか、山根耕平さんにご自身の体験を語っていただきたいと思います。

[講座スライドより]

山根耕平さん:山根耕平です。生まれは1971年で、川崎市出身です。親戚は神社系の人が多く、いわゆる“見える・聞こえる”人が多い家系でした。書家だった祖父は、紙は高価だからと「空中に字を書いて練習し、納得できたら紙に清書する」ということをやっていました。母も私も同じような能力があり、理系の大学に進んだ私は、研究の際に「計算式を空中に書いて解く」という具合にこの力を活用していました。

[講座スライドより]

当時は統合失調症という病気も知らず、「便利な能力だな」くらいに感じていたんです。また、森に行くとフェルメールの絵画やワーグナーの音楽が脳内に浮かぶなど、幻視・幻聴は当時の私にとって比較的楽しい経験でした。

[講座スライドより]

しかし、社会人になったある時、会社での仕事や人間関係のトラブルをきっかけに、上司や同僚にひどいことを言われた時の嫌な記憶が頭に焼き付き、四六時中脳内で再生される状態になってしまったのです。「今日の朝ごはんは何だったっけ?」という些細なことを思い返そうとしても、蘇るのは会社での辛い記憶ばかりで、心身ともにボロボロになり、2001年に浦河町に辿り着きました。

浦河の日赤病院で統合失調症の薬を処方してもらうと、会社での嫌な映像や音声がすーっと薄れていき、代わりに目の前にいる“べてるの仲間”がちゃんと見えて聞こえるようになりました。ところが、「もう治ったな」と思って勝手に薬をやめると、ある日、頭の中で「UFOに乗って会社と地球を救って」と麗しい女性の声がしたんです。これは頑張らなきゃと荷造りをして、『えりも岬』まで行こうとしたら、べてるのスタッフやメンバーが15人ほど集まってきて、「まあまあ、えりも岬に行く前にちょっと話聞かせてよ」ということで急遽ミーティングが開かれることになりました。

「どんなUFOなの?」「何人乗り?」「色は? 形は?」など、仲間たちからの質問にいろいろと答えているうちに、あるメンバーが「山根くん、会社と地球を救いたいのはわかったけど、宇宙船に乗るには浦河だと免許証が必要なんだよ」なんて言うんです(笑)。そんな話は聞いたことがないと言うと、「じゃあ多数決を取ろう。浦河で宇宙船に乗るのに免許必要だと思う人?」と彼が言って、スタッフも含めてメンバー全員が手を上げた。「それなら、僕も免許をもらいに行きます」と言ったら、「じゃあ、宇宙センターに行こう」と車で日赤病院に連れて行かれました。

病院に着くと、そこには主治医の先生と向谷地さんが待っていて、「以前、やはりUFOに呼ばれて二階の窓から転げ落ち、足を複雑骨折した人がいる。今の山根くんに免許証を渡すと、そういう危ない目に遭いそうだからちょっと休んで行かない?」とさとされ、5日間入院したんです。薬と仲間の重要性を再認識した出来事でした。

そんな経験が評価されて、翌年、年に一回の『幻覚&妄想大会』でグランプリを取っちゃったんです。「すごい妄想や幻聴にあったから、賞をあげるんじゃないよ。山根くんの幻聴幻視を巡って、たくさんの人が動いて、ミーティングで多数決まで取るような豊かなコミュニケーションが生まれたことへの表彰だから、またUFO呼んでももう賞はあげないよ」なんて言われました(笑)。

[講座スライドより]

向谷地先生:『幻覚&妄想大会』とは、誰の幻覚や妄想が今年一番感動的だったかを、みんなで決めて表彰するものです。幻覚妄想でみんなにお祝いされる、なんてことをやっているのは、世界中でも浦河だけでしょう。統合失調症は、一般的には「家族死、社会死、肉体死に陥る惨めな経験」とされていますが、私たちはそんな現実を生きている人たちを、心から尊敬し、応援するという文化を育んできたのです。

「自分自身で、ともに」がべてるの理念の一つです。自分の身に起きている出来事を一つの不思議な現象として捉えつつ、一人で抱えて行き詰まってしまうのではなくて、「仲間たちと分かち合い、研究的に語り合う機会を重ねる」という暮らし方を私たちは提案してきました。

山根さん:主治医の先生も、「半分は薬で治したから、あとの半分は仲間たちに助けてもらって、みんなで治してね」とよく言います。自分自身の言葉で語り、仲間と経験を分かち合うということができるようになってから、僕も落ち着いて生きていけるようになってきました。「ともに研究する」というのは、やはり当事者研究の醍醐味だな、と感じます。

本当の回復は、コミュニティの中にある

向谷地先生:スタンフォード大学に、幻聴の研究をしているターニャ・ラーマンという医療人類学者がいます。彼女の研究によると、アメリカや日本の統合失調症患者が体験する幻聴の内容というのは、「死ね」「お前は駄目だ」といった否定的な声が多い。一方、インドやガーナなど発展途上国では、「頑張ろう」「ここはいいところだ」といった肯定的な内容が多いそうです。つまり、幻聴の内容というのは、その国の「ローカルカルチャー」「文化環境」に影響されていることが示されたのです。面白いことに、浦河に来ると否定的だった幻聴がポジティブに変わっていく、という仲間も多いのです。

私が駆け出しの頃、医者は神のごとく崇められ、神のように振舞っていましたが、今はすごく謙虚になりましたね。当事者本人がちゃんといて、みんなの力が集まり、互いに助け合い知恵を出し合ってこそ回復が始まるのだという「一つの共通理解」ができてきたからだと感じています。以前は、病気の人は病院に送り込み、病気が治ればコミュニティが受け入れるというスタンスでしたが、本当の意味での回復は、むしろ「コミュニティの中にこそある」のではないか、という考え方が現在は広まってきているのです。

昨今、心理学の領域では、「○○アプローチ」「○○療法」などといった新しい対処法が、毎月のようにどんどん生まれています。しかし、素朴な人とのつながり、例えば生まれた瞬間から母親と赤ちゃんの間に起きる対話的な関係や、ともに生きる中で私たちが息を吸うように享受している「対話」というつながり。私たちが健康でいるためには、そういったものが実はとても重要な役割を果たすのだということが分かってきています。

[講座スライドより]

病気になることは、決して悪いことではない。べてるの家では、「大切な病気さんが助けに来てくれた」といった言葉をよく使います。山根さんの場合も、「一人で頑張るんじゃないよ」「もっと素直になって、困った時はみんなの力を借りればいいだけなんだよ」という大切なメッセージを、統合失調症という病気の形で山根さんに伝え、背中を押してくれているのです。

このように、べてるの家ではさまざまな言葉が生まれているのですが、「病気に助けられる」「勝手に治すな自分の病気」「自分の行き詰まりに手応えを感じる」など、一見ちぐはぐなメッセージが意味をなしているんですね。「絶望」と「安心」の単語はどう見てもつながりませんが、べてるの家では、「安心して絶望できる人生」という表現に納得感があるような場所なのです。

[講座スライドより]

世の中には捨てるものはない。どんな行き詰まりも困りごとも、そこにはちゃんと私たちをより健康的な状況に向かわせようとする“何らかの力”が働いている。だから、単純に解決に走るのではなく、そのこと自体から学ぶ。「人を困らせている人」は、実は「困っている人」なのかもしれない。その人の困りごとは、実は「自分たちの困りごと」かもしれない。そのように、むしろ病気の人たちから学ぶという、そういう反転した発想を、私たちは大事にしています。

施設情報

北海道医療大学先端研究推進センター当事者研究分野

・北海道医療大学大学院看護福祉学研究科障害福祉学分野
・北海道医療大学看護福祉学部福祉マネージメント学科メンタルヘルス・マネージメントコース

〒061-0293 北海道当別町字金沢1757
Tel:0133-23-1211(代表)0133-23-1307(直通/fax)
ikuyoshi[at]hoku-iryo-u.ac.jp([at]を@に変えてください)
nohonoho9[at]hotmail.com([at]を@に変えてください)

(社福)浦河べてるの家

〒057-0021  北海道浦河町築地3-5-21
Tel:0146-22-5612 Fax:0146-22-4707

向谷地生良(むかいやち いくよし)
ソーシャルワーカー/青森県十和田市出身/北海道医療大学名誉教授・浦河べてるの家理事長
1978年より北海道浦河にある総合病院精神科専属のソーシャルワーカーとして勤務しメンバーと共に「浦河べてるの家」(1984)の創設に参加、日高昆布の産直をはじめとする事業を推進、2001年に「当事者研究」を創始し、自助活動や相談支援に取り入れる。2003年4月より、北海道医療大学看護福祉学部で教鞭をとりながら、国内はもとより海外における「当事者研究」の普及と交流をめざした活動と研究を続け2021年3月に退任、4月から名誉教授。著書「べてるの家の非援助論―共著・医学書院」、「べてるの家から吹く風・いのちのことば社」、「技法以前」医学書院他多数。
山根耕平(やまね こうへい)
社会福祉法人 浦河べてるの家 ソーシャルワーカー
早稲田大学大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程修了。現在、(社福)浦河べてるの家で勤務。昔から普通の人には見えないものや聞こえないものに関心があり、今回の講演のようにそれを語れる時代になって良かったと思っている。

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