東京大学先端科学技術研究センター 協働事業
チガイ・ラボ 講座レポート
認知症とともに生きる - 認知症の当事者研究より -
丹野智文さん(おれんじドア実行委員会代表)
講義日 2023-09-01
39歳の若さで若年性アルツハイマー型認知症と診断された丹野智文さん。診断から10年以上を経た現在は、会社に籍を置きつつ、認知症の社会的理解を広める活動をしています。当事者が尊厳を失わず、笑顔で生きるための秘訣を伺いました。
※本記事は、すぎなみ大人塾総合コース2023『チガイ・ラボ』で行われたカリキュラムより抜粋・再編集したものです。
このレポート記事は、実際の講座内容をもとに要約したものです。実際の講座が気になる方は、ぜひ動画から体験してみてください。この動画を許可なく研修会などで使用することを禁じます。
目次
2013年、仙台の自動車販売店で営業職をしていた39歳の時に、私は『若年性アルツハイマー型認知症』と診断されました。診断の5年ほど前から、もの覚えが悪くなったなと感じていましたが、多忙によるストレスのせいだろうと思っていました。
トップセールスマンだった営業時代
次第に、お客さまの名前や顔、商談内容を忘れてしまったり、間違えてしまったりすることが多くなり、上司から怒られることも増えてきました。ある日、毎日顔を合わせているスタッフの名前さえも出てこなくなってしまい、「何かおかしい」と感じて脳神経外科を受診しました。すると、「大きな病院へ紹介状を書くから、『もの忘れ外来』に行ってみてください」と言われ、脳神経疾患の専門病院で検査しましたが、さらに大きな病院でも検査を受けるよう提案され、大学病院でも検査のために入院することになりました。
すべての検査が終わり告げられたのが、「いろいろな先生と相談した結果、アルツハイマーと診断しました」という言葉でした。やはり、ただのもの忘れではなかったのだと頭の中が真っ白になりました。
夜になると、病気のことで頭がいっぱいになり、不安で眠れなくなりました。インターネットで「30代 アルツハイマー」と検索すると、若年性認知症は進行が早く、何も分からなくなって最後は寝たきりになるなどの悪い情報ばかりが目につきました。調べれば調べるほど、「これからどう生きていったらいいのか」と絶望を感じました。
とはいえ、家族のためにも仕事を辞めるわけにはいきません。幸い、会社の理解もあって営業から総務人事グループに異動し、事務の仕事をすることになりました。「あらゆることをノートに書く」という工夫や、周囲の協力のおかげで、今日まで何とか続けてこられたのです。
会社の同僚たちと。右から3番目が丹野さん
「当事者との出会い」も私を大きく変えました。発症から何年経っても笑顔でいる人たちに会い、自分も彼らのように生きていきたいと思えたのです。
しかし、病気を周囲にオープンにするまでには、いろいろと葛藤がありました。まだまだアルツハイマーへの世間の偏見は根強いと思っていたからです。家族に迷惑がかかるのではないか、子どもたちがいじめられるのではないかなどと思い悩みました。
ある日、娘たちに、これから周囲に病気を開示して活動していきたいと相談し、「でも、もしかしたら友達に知られてしまうかもしれないよ」と話すと、「パパは良いことをしてるのだから、いいんじゃない」と背中を押してくれました。
偏見は、自分自身や家族の心の中にあると感じます。周りの人から何を言われるだろう、どのように思われるだろうと悩んでいましたが、私の場合、幸い、周囲にオープンにした後も偏見の言葉は少なく、助けてくれる人の方がずっと多かったのです。
現在、私は会社に所属しながら、講演活動をはじめ認知症に関わる啓発活動をしています。これは、私が認知症“でも”できる仕事ではなく、認知症になったから“こそ”できる仕事です。営業の仕事や好きだった車の運転は諦めましたが、それまでは想像もできなかった方向に人生が大きく変わりました。私が選んだのは、認知症を悔やむのではなく、「認知症とともに生きる」という道です。人生は認知症になっても、新しくつくることができるのです。
これからますます増えてくるであろう認知症。決して恥ずかしい病気ではありません。いつでも誰でもなり得る病気です。みなさんが安心して認知症になれる社会を、一緒につくっていきましょう。
私は、家で「子どもの顔」を忘れちゃうんですよ。顔を見ても、これは自分の子どもの顔なのかが分からないんですよね。街中でうちの子だと思って声をかけたら人違いで怒られたという経験が何回もあって、確信が持てないんです。
「認知症になると人が離れていく」という声をよく聞きますが、認知症でなくても「私、鬱だから」なんて言うと、「この人は何ができて何ができないか分からないから、そっとしておこう」と考えて、人は離れていく。もしかしたら、それは優しさから来る配慮かもしれません。
でもね、「できること」「できないこと(苦手になっていること)」「やりたいこと」の三つをちゃんと伝えれば、人は離れていかないんですよ。私の場合は人の顔をすぐに忘れてしまうから、それを相手に伝えます。「次会う時はあなたのことを忘れてしまっていると思うから、ちゃんと声をかけてね」と。すると、次回こちらが認識できなかったとしても、相手から声をかけてくれるんです。自分の症状を伝えないままでいたら、やはり変な人とか、怠けているだけと思われてしまうんじゃないでしょうか。
私は地元が仙台なので、スキーをします。認知症になって一度はやめたんですが、友達に誘われて、再開することにしたんです。ただ、人の顔が分からないということは、スキーに行って仲間たちとはぐれても、見つけることができないということ。すごく不安でした。そこで、みんなのことを見つけることが無理ならば、見つけてもらえばいい、と発想を逆転しました。以来、スキーをする時は、「パンダの着ぐるみの帽子」をかぶっています。もう何年もそうしているので、仲間たちもそれが当たり前という感じで向こうから私を見つけてくれますし、私も思い切りスキーを楽しめています。
通勤時には、「会社の最寄駅」を忘れてしまうことがあります。認知症初期の頃は、スーツを着てネクタイを締めた30代の男(私)が、「今から会社に行くんですが、どの駅で降りたらいいですか?」なんて言うものだから、道を尋ねたおじさんに「馬鹿にしてんのか!?」と怒られてしまったこともありました。若い女性に聞いて、「それって新手のナンパですか?」みたいに勘違いされてしまったこともあります。
これはマズいと、「若年性アルツハイマー本人です。ご協力お願いいたします」という言葉とともに、乗車駅と降車駅、会社の住所などを書いた『ヘルプカード』を作りました。このカードを見せながら道を尋ねると、「ああ、そうなんだ!」という感じで、知らない人が優しく協力してくれるようになりました。とくに認知症初期は、外見からは分からないからこそ、病気を隠さないというのが大切なんじゃないかなと思います。
認知症の症状を止めることは、今のところできません。でも、私は止められるものが2つあると思っています。ひとつは、財布を取り上げたり、一人で出かけるのを禁止したりすること。そういうことをされると、どんなに不本意でも、家族や周りの人たちに「迷惑かけたくない」という思いから、本人は自立を諦めてしまうのです。すると、そのうち段々と何もしたくなくなり、鬱になってしまいます。
二つ目は、すごく多いなと思っていることですが、家族や周りの人たちが、先回りして“やってあげる”こと。やってしまえばやってしまうほど、最初は反発していても、本人も段々といろいろなことを周囲に任せるようになってしまう。そうすると、家族がいないと不安になり、あっという間に依存状態になってしまいます。
「失敗する権利を奪わない」というのは本当に大切なことです。失敗していいんです。失敗するから工夫する。そして、工夫すると成功体験が生まれるんです。
私は朝起きると、トースターでパンを焼きます。ある時、隣の部屋のテレビの音がうるさいなと思って消しに行ったら、パンを焼いていることを忘れてしまったことがありました。パンは真っ黒焦げになり妻に謝ると、妻は「また焼けば?」なんて言うんです。代わりに焼いてくれないんです、優しくないでしょう(笑)。
じゃあどうするか。それからはもう、トースターから目を離さないようにしています。たかが数分ですが、焼き上がるまでずっと見ている。こうすると、成功体験で終わるんですよ。これが例えば、パンを焦がしました、妻が焼いてくれました、となると失敗体験で終わったままになります。そうすると、もう失敗したくないから、次からも頼む以外できなくなるんです。失敗しても、どう工夫して成功体験に結びつけるか、ということが大切なのだと思います。
また、家族だけで当事者を支えようとするのでなく、仲間をたくさん作ることも重要だと感じます。よく、「認知症になると携帯電話を使えなくなる」という声を聞きますが、その理由は、もの忘れではなく、“社会と遮断してしまう”からだと私は思うのです。誰からも電話もメールも来ないと、やがて携帯を充電しなくなります。「私は電話もメールもしていますよ」と家族の方はおっしゃるんですが、家族からの電話やメールは“ワクワク”も“ドキドキ”もしませんよ(笑)。「何時に帰ってくるの?」「ご飯食べるの?」なんて連絡ばかりですから。“ワクワク・ドキドキ”が認知症の人にも必要で、それを奪われるから携帯も使えなくなってしまうんです。
ちなみに、今は携帯電話の機能もどんどん進化しているため、うまく使いこなせば脳の一部になります。私も、アラームや乗換案内、地図アプリに交通系ICカードなど、日々たくさんの機能に助けられています。これからの認知症サポートにおいて、ITの果たす役割はかなり大きいのではないでしょうか。
認知症への社会的理解を広めるための活動に力を入れている。写真は韓国での講演の様子(2023年10月)
仲間にも、ひとり暮らしの人がいます。「親戚や周りの人たちが、もうひとり暮らしはやめさせたがっている」と言うからその理由を聞くと、「火の始末が心配だから」という声がほとんどです。
別の仲間からは、「火の消し忘れで鍋をよく焦がしていたけど、最新のガスコンロに変えたら勝手に火が止まって焦げなくなったよ」とのアドバイスがありました。自動停止する安全装置がついたコンロや電気のコンロを使えば、ひとり暮らしも続けていけるのではないでしょうか。周りの心配が、結局本人の意思とは関係ない方向に、本人の暮らしを向かわせてしまうんですよね。
私が疑問に思っているのは、デイサービスなどの施設ひとつとっても、なぜ本人の意思は聞かず、家族とケアマネージャーだけで決めてしまうのでしょうか。すべて決まった後で、勝手に決められた施設に行きたくないと言えば「拒否」と言われ、無理やり連れて行かれて帰りたいと言えば「帰宅願望」と言われる。さらにイライラしていれば、「BPSD(Behavioral and PsychologicalSymptoms of Dementia:認知症の行動と心理症状の意で、暴言や暴力、興奮、抑うつ、不眠、昼夜逆転、幻覚、妄想、徘徊などを表す)」とも言われてしまう。
でも、「自分で決めたい」というのは、人間として当然の感情だと思いませんか。進学先も就職先も、みなさん自分自身で決めてきたでしょう。例えば、娘の高校進学にあたって、私が「パパがお前のためにいい学校を見つけたから、そこに行きなさい」なんて言ったら、娘は必ず怒るはずです。それなのに、なぜ認知症になると、当事者抜きで周りだけで物事を決めてしまうのか。本当の自立とは、自分の意見をはっきり言って、自分で決めること。できないことはできないと、周りに自然に頼めることだと思います。本人が自分で決めるということを、周囲の人には応援してほしいと思います。
診断後からこれまでに、500人以上の認知症当事者と出会い、交流を重ねてきた丹野さん。2015年には、当事者が当事者の相談に乗る窓口「おれんじドア」も立ち上げた