東京大学先端科学技術研究センター 協働事業

チガイ・ラボ  講座レポート

当事者研究ってなんだろう? -総論編-

東京大学先端科学技術研究センターで、当事者研究の実践や仮説検証、手法の研究などを行っている熊谷晋一郎先生。仲間の力を借りながら、自分自身をよりよく知ろうとする「当事者研究」とは、一体どのようなものなのでしょうか。

※本記事は、すぎなみ大人塾総合コース2023『チガイ・ラボ』で行われたカリキュラムより抜粋・再編集したものです。

このレポート記事は、実際の講座内容をもとに要約したものです。実際の講座が気になる方は、ぜひ動画から体験してみてください。

目次

「当事者研究」という言葉を聞いたことがありますか。

発達障害や統合失調症、依存症や認知症など、さまざまな社会的マイノリティの現場で行われている当事者研究の実践者を講師にお招きして、それぞれの当事者から見えている世界を学ぶシリーズ講座『チガイ・ラボ』の総論編として、その概要をお話ししたいと思います。

私は生まれつき「脳性麻痺」という身体障害を持っています。着替えたり入浴したり、トイレに行ったりすることが自分一人ではできませんので、ほぼ24時間、私のそばには「介助者」と呼ばれる人が入れ替わり立ち替わり生活をサポートしてくれています。

私は大学で医学を勉強し、小児科医になりました。幼少期は、患者として医療を「受ける側」だったのですが、大学を出て大人になると、今度は医療を「提供する側」に回ったのです。両方の世界を見てきて、「当事者の世界」と「専門家の世界」というのが離れすぎている、という感覚をずっと抱いてきました。

[講座スライドより]

いま、世界中で「自分の障害について研究する」当事者の方たちが増えてきています。彼らの研究発表は外来でとても参考になります。発達障害の子どもたちをサポートする時に、当事者が私に教えてくれた知識を、「こんな経験や世界の見え方をしている人もいるけど、君はどう?」と聞くと、「先生なぜ分かるの?」「家族からも理解されてこなかったのに、まるで占い師みたい」と子どもたちから驚かれるといったことが、当事者研究に出会ってから次々と起こるようになりました。そのような経験を通して、やはり「当事者の知見」と「専門家の知識」、この二つがないと医療というものは立ちゆかないことを実感してきました。

では、「当事者研究」とは何なのか。これから、いくつかのキーワードで説明していきたいと思います。

障害はどこに宿る

——キーワード①社会モデル

一つ目は、「社会モデル」という考え方です。

私が生まれたのは1977年です。当時は今のように「多様性」というものが重視されておらず、その逆である「均質性」が良しとされる時代でした。そのような時代に脳性麻痺を持って生まれた私に、「少しでも健常者に近づければこの子は幸せになれるはず」と両親は信じたのでしょう。かなりの時間とエネルギーを私のリハビリに費やしました。当時の医学では、一生懸命リハビリに取り組めば、脳性麻痺は93%以上完治するとされていました。毎日5〜6時間のリハビリは、私の全身をアザだらけにし、痛く辛い幼少期の記憶として残っています。

3歳ごろの熊谷さん。少しでも健常者に近づくようにと、毎日5〜6時間のリハビリを行なっていた[講座スライドより]

80年代になり、より丁寧な研究が行われるようになると、リハビリにはほとんど効果がないことが証明されます。私たち親子ははしごを外されるような思いをしました。そんな時に颯爽と登場した救世主が、「障害の『社会モデル』」という考え方でした。

例えば、ここに車椅子に乗っている男の子の絵が描かれています。目の前には階段があり、男の子はちょっと困ったような表情をしています。さて、この絵の中で、障害はどこに宿っていると思いますか?

[講座スライドより]

さまざまな考え方があると思いますが、ここでは大きく二つに分類してみたいと思います。男の子の体、あるいは心など、男の子の「皮膚の内側に障害がある」という考え方を、障害の『医学モデル』と言います。一方で、男の子の外の「社会環境の側に障害がある」と考える捉え方が障害の『社会モデル』です。医学モデルで捉えられた障害は『インペアメント(impairments)』、社会モデルで捉えられた障害は『ディスアビリティ(disabilities)』と言葉を使い分けることもあります。

[講座スライドより]

先輩の障害者は私に言いました。「熊谷、お前の体には1ミリも障害はないぞ。お前はその体のままで生きていていいんだ。お前の体を受け入れない社会が障害なんだ。社会を直せばいいんだ」。その一言で、私は自分の生まれ持ったこの体を初めて認めることができました。堂々としていい、直さなくていい、誇りを持っていいと感じられたのです。

その意味で、障害の「社会モデル」は、障害物競走の発想で障害を捉える考え方です。走る人ではなく、「コース=社会環境」に障害がある。それを取り除いていくという方向性で、障害の考え方を180度変えた概念と言ってもいいでしょう。 

この「社会モデル」の発想というのは、障害のある・なしを超えて、すべての人が暮らしやすい社会、インクルーシブな共生社会を実現する時のキーワードになっています。当事者研究もまた、そういう社会モデルの考え方を大事にしてきたのです。

ジブンで考えてみる①

みなさんが抱えている困りごとをひとつ取り上げて、分解してみましょう。自分の側に責任があるとしたらそれはどういう点で、社会環境(例えば家族、友人、制度、法律、あるいは建物のデザインなど)の側に責任があるとしたらどういう点でしょうか?

言葉はマジョリティだけのもの?

——キーワード②解釈的不正義

2つ目のキーワードは、『解釈的不正義』です。

『産後うつ』という言葉を聞いたことがありますか? この言葉が誕生したのは比較的最近です。赤ちゃんが生まれた後にどうしてもかわいいと感じられない。鬱々として、育てていこうというエネルギーが湧き起こらない。「産後うつ」という概念があると知らなかった時代の女性たちは、「私は母親失格なのかな?」「性格が悪いのだろうか?」などと、自分の努力不足や至らなさによって苦しみを説明せざるを得なかったのです。

これは、建物や制度のような社会環境だけでなく、「言語」というツールもまたバリアフリーになっていないということを意味しています。この例で言えば、この言葉が生まれる以前は「女性の経験」を十分には表しきれていなかったわけですが、言葉がないからと言って、その症状がなかったわけではありません。おそらく、夫に何とか伝えようとした人もいたかもしれませんが、それがまったく伝わらずに、口に出すことすらしなくなっていった人も多くいたはずです。そういう意味では、言語が男性、健常者、白人など一部の特権階級に合わせてデザインされているとも言えるわけです。

このように、世の中に流通している日常言語を始めとする表現資源が、「多数派の経験を表しやすいようにデザインされている」ために、少数派が自分の経験を表そうとすると、それを表す言葉が世の中に流通していない。そういう偏った状況を『解釈的不正義』と呼びます。さらに言うと、解釈的不正義とは、「社会モデルを言葉の領域に応用した概念」と表すこともできます。

[講座スライドより]

この解釈的不正義によって、自らの経験を自分でも十分に理解できず、ましてや他者と共有することも困難な状況に置かれて、誤解にさらされている人々がたくさんいます。例えば、私が専門にしている自閉スペクトラム症(ASD)は、周りから非常に見えにくい障害であるため、周囲から「普通」であることを期待されたり、本人も障害に気付かないまま「普通」にできない自分の人格や努力不足を責めたりと、独特の生きづらさを伴います。

このような解釈的不正義を是正するために、「多数派向けの言葉」ではうまく表現できないマイナーな経験に新しい言葉や表現方法を与え、理解・共有できるようにする。そんな挑戦をしているのが、当事者研究なのです。言うなれば、当事者研究とは「表現資源をユニバーサルデザインする取り組み」ということになります。

もともと当事者研究は、精神障害や統合失調症と呼ばれる人たちの間で始まり、その後、見えにくい障害を「見える化」することを可能にする取り組みとして、発達障害や依存症、認知症、慢性疼痛、トランスジェンダーなど、さまざまな解釈的不正義の領域に広がっていきました。さらに最近では、子育てに苦労している母親たちや、「自分はモテない」と思い詰めている男性たちなど、モヤモヤして言葉にならない経験を持っているマジョリティの人々の間にも広がっています。

ジブンで考えてみる②

モヤモヤしているけれども言葉にならない経験はありますか? うまく表現しきれず、上手く他者と共有できない経験や記憶を掘り起こし、言葉を与える作業をしてみましょう。

誰の心にも潜む「公害」

——キーワード③スティグマ

3つめのキーワードは、『スティグマ(Stigma)』です。

[講座スライドより]

人間は一人ひとりがみな、異なる特徴やバックグラウンド、個性を持っています。しかし、私たちは「障害者」「同性愛者」「女性」など、さまざまな属性を使って、人を分類してしまいがちです。これを『ラベリング』と言います。

[講座スライドより]

また、異なるカテゴリー同士が接触しないように、『隔離』するということも私たちはついやってしまいます。障害者だけを別の施設に閉じ込めるなどがその一例です。

[講座スライドより]

さらに、「障害者とは」「男性とは」「女性とは」などと属性を十把一絡げにして、「大体こんな感じ」といった典型的なイメージを私たちは抱きがちです。それが、いわゆる『ステレオタイプ』と呼ばれるものです。

[講座スライドより]

そのステレオタイプ(一部の属性)に対して、「あの人たちは劣っている」などネガティブな価値観を持ってしまうことを『偏見』と言います。

[講座スライドより]

そうして、その「偏見」を向けた相手に対して、同化や排除を強いる言動を起こしてしまうことが『差別』につながっていきます。ちなみに、同化とは、マジョリティが違いを無視して「あなたも私たちと同じでしょう」と見なすことで、排除とは、「あなたたちは私たちとは違うからあっちに行って」という態度を取ることです。

[講座スライドより]

「ラベリング」→「隔離」→「ステレオタイプ」→「偏見」→「差別」。私たちの認識や行動の癖を表したこの五つをまとめて『スティグマ』と言います。スティグマを向けられた人は、住居や仕事、教育機会を得にくくなったり、心身の健康を病んだりするということが証明されています。

残念ながらスティグマというのは、誰しもが持っており、人から人へ移っていくものです。いわば、情報環境における「公害」のようなものだと言えるでしょう。私たちができることは、「私はこういうスティグマを持ってしまっている」と把握して、それが差別となって現れないように、その手前で自分を振り返り続けることです。

 このような世の中に蔓延しているスティグマを減らす良い方法はないのでしょうか?先行研究によると、「3つの条件下での接触」がとても大事だとされています。

[講座スライドより]

19世紀後半にアメリカで起きた南北戦争では、黒人と白人の混成部隊で戦地に赴いた白人の兵隊が、戦地から帰ってきた後に、顕著に黒人への差別心がなくなっていた、という報告があります。主人と奴隷の関係ではなく、①同じ戦友として対等に、②共通の目標のもとで協力し合ったという経験、またそうした接触が③組織的にバックアップされていたことが、差別心をなくしたのです。

心理的安全性の高い組織では、スティグマが少ない

スティグマは、『公的スティグマ』『自己スティグマ』『構造的スティグマ』の大きく三つに分類されます。

「公的スティグマ」とは、家族や親族、同僚、医療関係者など、「周囲の非当事者が当事者を差別したり、偏見を向けたりする」スティグマのことです。例えば、男性が女性を差別したり、健常者が障害者を差別したりするというものです。

それに対して、障害者が障害者を、また、女性が女性を差別したり、自分と同じ属性の人を憎んだり、恥ずかしいと思ったりすることを「自己スティグマ」と言います。公的スティグマが蔓延している社会の中で、マイノリティ自身が「公的スティグマ」を自己の内面にインストールしてしまうと、「自己スティグマ」になります。

「構造的スティグマ」は、障害にまつわる法令や政策、規範などの社会構造に関連したものです。

『津久井やまゆり園』の事件を覚えてらっしゃいますか? 私もすごく衝撃を受けました。虐待の上流にはスティグマがあるとされています。障害者施設の職員が利用者に対して、どういう時にスティグマを高めるのか、スティグマを減らすにはどうしたらいいのかということを、事件以来、私たちはアンケートなどを通じて調査してきました。

その結果、「心理的安全性の高い障害者施設では『公的スティグマ』が少ない」という傾向が明らかになりました。心理的安全性が高い文化とは、職員が何か窮地に置かれた時、困っている時にSOSを出しやすく、それは違うと思った時に違っていると言いやすい、要は「忖度が少ない」文化のことです。また、障害者だけでなく、健常者も職員も「全ての人が不完全であり、困っている」という前提で動いている職場のことを、「心理的安全性が高い職場」と言います。こういう職場になって初めてスティグマが減り、虐待も減るということが見えてきたのです。

スティグマのない、心理的安全性の高い組織・家庭・コミュニティを作るために、当事者研究は有効であると私たちは考えています。「こんなことを話したら馬鹿にされるかな?」「こんな困り事を言ったらアドバイスされちゃうかな?」と当事者に思わせないような環境をつくること。アドバイスは時に暴力になる、有害で危険なものです。ただ、「相手のことを正確に知ることだけにエネルギーを注ぎ、「解決しようとしない」ということを、当事者研究ではとても大事にしています。

ここまでの話をまとめます。
当事者研究を理解する上で一番大事なキーワードは、障害は社会環境に宿ると考える『社会モデル』です。そして、この社会モデルの考え方を、言葉の領域に応用したのが『解釈的不正義』です。つまり、当事者研究を一言で表すなら、「解釈的不正義を正すためのプログラム」です。また、当事者研究は、『スティグマ』を減らす上で非常に有効です。これらのキーワードが、他の講座を理解する手助けとなれば幸いです。

ジブンで考えてみる③

「男性」「女性」「障害者」「同性愛者」など特定の属性に対して、自分が抱えてしまっているスティグマにはどんなものがあるでしょうか? そのスティグマは、「ラベリング」「隔離」「ステレオタイプ」「偏見」「差別」など、どのような形で表れているでしょうか?

熊谷 晋一郎
医師・研究者
1977年山口県生まれ。新生児仮死の後遺症で、脳性まひに。以後車いすでの生活となる。東京大学医学部卒業後、病院勤務などを経て2015年から現職。専門は小児科学、当事者研究。博士(学術)。著書『リハビリの夜』(医学書院、2009年)で第9回新潮ドキュメント賞を受賞。近刊は『当事者研究をはじめよう』(同、2019年)、『小児科の先生が車椅子だったら』(ジャパンマシニスト社、2019年)、『当事者研究』(岩波書店、2020年)など。

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丹野智文(「おれんじドア」代表)

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