東京大学先端科学技術研究センター 協働事業
ゲンゴカ・ラボ 講座レポート
ことばの語用論「コミュニケーションが不正義になる時」
熊谷晋一郎(小児科医/東京大学先端科学技術研究センター教授)
講義日 2026-02-09
言葉の背後にある「当たり前」を問い直し、不正義の構造をあぶり出してきた「ゲンゴカ・ラボ」。第3回講義は、第1回に引き続き東京大学先端科学技術研究センター教授の熊谷晋一郎先生による『コミュニケーションが不正義になる時』です。私たちは日々、何気なく言葉を交わして、コミュニケーションをとっています。ですがそのコミュニケーションにおいても、実は多数派に向けてカスタマイズされているのです。
※本記事は、すぎなみ大人塾総合コース『ジブン・ラボ』シリーズ2025『ゲンゴカ・ラボ』で行われたカリキュラムより抜粋・再編集したものです。
このレポート記事は、実際の講座内容をもとに要約したものです。実際の講座内容が気になる方は、ぜひ動画をご覧ください。
今回は、『コミュニケーションが不正義になる時』というテーマでお話をします。本テーマに関連した研究をしているのが、東京大学先端科学技術研究センター教授の綾屋紗月さんです。綾屋さんは、ご自身も自閉スペクトラム症の当事者であり、当事者の視点から自閉スペクトラム症を捉え直す研究に取り組んでいます。綾屋さんの研究を手がかりに、私たちが「当たり前」と思っているコミュニケーションが、実は一部の人にとって快適ではないもの、つまり、公平ではない様式になっている可能性について考えていきます。
まずは今回のテーマを考えるにあたり、「コミュニケーション障害」として定義されてきた自閉スペクトラム症(ASD)の当事者研究から掘り下げます。これまで専門家たちは、ASDの診断基準を「社会的コミュニケーションおよび社会的相互作用における持続的な欠損」と定義してきました。
しかし、この定義に対し、当事者研究者たちは異議を唱えました。この定義では、あたかも一部の人の“中”に「コミュニケーション障害」という特徴があり、それ以外の人は「普通」であるかのように見えてしまうからです。けれども、コミュニケーション障害は、必ずしもどちらか一方の人の“中”にある特徴ではなく、人と人の“間”に生じる齟齬です。
[講座スライドより]
例えば、日本文化で育ってきた人と、アメリカ文化で育ってきた人とが互いにコミュニケーションをとろうとすると、文化の違いによって当然すれ違いが起きます。その時、アメリカ文化で育ってきた人に「日本人にはコミュニケーション障害がある」と一方的に言われたら、多くの人が違和感を覚えるはずです。背景や特徴・特性が異なる人同士がコミュニケーションをする時に、その“間”に生じるのが「(双方にとっての)コミュニケーション障害」であるはずです。どちらか一方に、コミュニケーション障害という特徴が永続的に存在しているという診断自体が間違っていることが分かります。
こうした問題提起を受けて、2007年以降、自閉スペクトラム症の当事者・研究者たちによる研究が世界各地で進みました。自閉症概念そのものを問い直すような論文が発表され、多数派である定型発達者のコミュニケーション様式が「普通」で、それに合わない人が「障害」と名指しされてきた構造も明らかになってきました。
世界のさまざまな国や地域では、自閉スペクトラム症の当事者研究に取り組む専門家グループが数多く存在しています。彼らは国際的なネットワークを形成し、現在の自閉症研究が当事者の経験やニーズにかなったものになっているかを検証し、社会に提案する活動を行っています。そのひとつが、『グローバル・オーティスティック・タスクフォース(Global Autistic Task Force)』、通称GATです。日本からは綾屋さんがGATに参加をしています。
[講座スライドより]
これは2023年にGATの活動を紹介した『Nature』の記事です。そこには「I am not a broken version of normal」という言葉が掲げられていました。日本語に訳すと、「私は健常者崩れなどではない」という意味です。
従来のASD概念は、健常者のコミュニケーション様式に沿った行動が取れない人を、あたかも“標準から劣った存在”のように位置づけてきました。しかし、当事者たちはそうした見方に異を唱え、「自分たちには、自分たちの特性に合った“オルタナティブなコミュニケーションスタイル”があるのだ」と打ち出しました。
そして2012年頃からは、国内でもさまざまな研究者と連携しながら当事者研究が進められてきました。綾屋さんは、自閉スペクトラム症だけではなく、多様な発達の特性を持っている人たちで集まる当事者研究グループ『おとえもじて』を定期的に開催し、2021年まで10年間にわたって運営をしてきています。
『おとえもじて』では、毎回共感しやすいテーマを掲げ、お互いの経験を持ち寄りながらシェアしてきました。ここで積み重ねられた当事者特有の経験を東京学芸大学 総合教育科学系 教育学講座 学校教育学分野の高橋 純教授を中心に分析し、ASD当事者と多数派の経験の違いを丹念に見ていく研究をしました。そこから見えてきたいくつかの仮説があるので紹介します。
① 予測誤差の過敏差
心臓は「全身に血液を送り出す」臓器。肝臓は「老廃物・栄養を代謝する」臓器と言われる中で、脳は「何をしている臓器」なのか。さまざまな考え方がありますが、その一つに「予測や推論をする」臓器という見方があります。脳は、常に「次に何が起きるか」を予測しています。しかし現実は、予測通りには進みません。予測と現実の間には、必ずズレが生じます。このズレを「予測誤差」と呼びます。私たちの脳は、この予測誤差に対して大なり小なり驚きます。しかし、どの程度の誤差で驚くのかについては個人差があります。ちょっとしたズレで強く反応する人もいれば、かなり大きなズレでなければ気にならない人もいる。
[講座スライドより]
このような当事者研究から見えてきたASDの特徴の一つが、「平均よりも予測誤差に敏感な可能性がある」という仮説でした。それに加えて出てきた仮説が、「予測誤差の感度が揃っている人同士であれば、コミュニケーション障害は起きにくいのではないか」というものです。
まとめると、コミュニケーション障害というのは、片方の人の“中”に宿命的な特徴として存在するわけではなく、予測誤差の敏感さが異なる人同士の“間”に齟齬が生じているのではないか。逆に、感度が近い人同士であれば、障害と呼ばれる現象はそれほど起きないのではないか。そうした見立てが浮かび上がってきました。
② パーソナルスペース
綾屋さんは、これまでに「小さい頃から周囲の友達と自分の間には透明の分厚いガラスの板があるような感じがしてきた」「距離を感じてきた」体験があると言います。このエピソードを聞いた時、私たちは『パーソナルスペース』に注目しました。
[講座スライドより]
私たちは誰しも、これ以上他人が接近してきたらドキドキするという、「自分の縄張り」のようなものを暗黙のうちに持っています。その縄張り(=パーソナルスペース)の大きさは人それぞれ異なります。
ASDの若者たちと多数派の若者たちとを比較した時、ASDの若者の方が、よりこのパーソナルスペースが小さいことを私たちは見出しました。逆に言うと、多数派の人たちにとってちょうどいいパーソナルスペースというのは、ASD当事者からするとちょっと遠すぎると感じられ、それが対人的な距離感の違いにもつながっているのではないか、という仮説が立ったのです。
言語的コミュニケーションだけでなく、こうした「非言語的領域」にも繊細な個人差が存在していることが、当事者研究から明らかになってきました。
③ 自分の「声」に対する予測誤差
コミュニケーションの場面では、私たちは言葉を用います。そのとき、実は自分の「声」を絶えず制御しています。私がいまこうして話している間も、脳は声帯や呼吸器に運動指令を送り続けています。この運動指令を受けとった声帯や発声器官が、実際に声を作っていますが、出される声は必ずしも脳が予測している通りの声とは限りません。つまり、先ほど話した予測誤差が発生することがあるわけです。こういう声を出そうと思っていたのに、実際に出てきた声はそれとは違っていた。これも予測誤差になるのです。
[講座スライドより]
そこで綾屋さんは「ASD当事者は、他人の声だけでなく、自分の声に対しても予測誤差を強く感じているのではないか」という仮説を立てました。多くの人は、自分の声のわずかなズレを無意識にスルーできます。しかし、もしそれがスルーできなかったらどうなるでしょうか。声の微細なズレに意識を奪われ、その間にも会話は進んでいく。話題は変わり、文脈は展開していく。結果として、会話についていくことが難しくなる。
これは非常に素晴らしい仮説で、予測誤差に敏感であることが、どのような形でコミュニケーションの混乱につながるかを指し示す仮説でもありました。この仮説を検証するために、私たちはとある実験をしました。それは、被験者にヘッドホンを装着してもらい、「あかさたな、あかさたな」と繰り返し発声してもらいます。その際、わずかに遅延させた自分の声をヘッドホン越しに聞いてもらいました。すると、ASD当事者であろうと多数派であろうと、予測誤差が生じます。予測していたタイミングより少し遅れて声が返ってくるため、脳が驚くのです。その結果、「吃音」や「言いよどみ」が生じます。
私たちはこの「言いよどみ」の程度を測定し、ASDとされる人とそうでない人を比較しました。結果は、ASDとされる人のほうが、より強く「言いよどむ傾向」が確認され、自分の声に対する予測誤差に対しても敏感であることが分かり、仮説が検証されたのです。
次に課題になるのは、こうした特徴に合わせてコミュニケーションをどのようにデザインするかという点です。海外に目を向けると、すでにASDの方にとって参加しやすいコミュニケーションデザインの研究者がいます。いろいろな文化圏のコミュニケーション様式の研究をしていた文化人類学者で、「ASDとされる人たちはコミュニケーションが苦手なのではなく、独自のコミュニケーションスタイルを持っているのではないか?」と考えました。そこでASDの子どもたちの行動や会話をビデオ撮影し、詳細に分析する研究を行いました。
[講座スライドより]
彼らはコミュニケーション空間を特徴づける複数のパラメーターを設定しました。上図の左側の、「使用される言語」「会話の連鎖形式」「話題の立ち上がり方」「身体的相互作用の形」「仲介物の有無」「情動の強さ」「テンポ」などです。コミュニケーション空間を特徴づけるいくつかの変数を設定し、どういう値を取った時にASDの子どもたちが参加しやすくなるかを表したのが図の右側です。
その結果、「第一言語を用いること」「相手が家族のような親しい存在であること」「会話単位が短いこと」「フェイス・トゥ・フェイスではなくサイド・バイ・サイドの配置であること」「情動の強さが控えめであること」「テンポが中程度からやや速めであること」などが、ASDの子どもたちにとって参加しやすいコミュニケーションの条件であると報告されました。
他にも、24時間365日、ASDの子どもたちにコミュニケーション障害が起きているわけではないことがわかる研究や、文字や音声などどのようなメディアであればASDの人にとって情報を取得しやすいコミュニケーションなのかを探る研究などさまざまなものがあります。
最後に紹介するのは、1対1の直接のコミュニケーションではなく、複数人同士におけるコミュニケーションについての研究です。
例えば、人は3人以上でコミュニケーションをとる時、次に誰がしゃべり始めるのかをどうやって決めているのでしょうか。これは『順番交替』と呼ばれるルールで、多数派の会話における順番交替のルールが明文化されたものです。
まず、今の話し手の発言が終わった時、そこまでにもし次の話し手を指定していれば、「指定された人が次の話し手となる」権利と義務を持つ。もし次の話し手を指定していなければ、「最初に話し始めた人が次の話し手」となる権利と義務を持つ。つまり早い者勝ちということです。一見すると当たり前に思えるかもしれません。しかし、膨大な会話データを分析した結果、私たちはどうやらこのルールを使っているらしいということが示されたのです。
ところが、この「指名」か「早い者勝ち」というルールでは、ASDの人たちには入りずらいルールであることが分かってきました。まるで、くるくる回る大縄跳びの中に飛び込めない人のように「会話の輪の中に入れない」と言ったASDの方が少なからずいました。
[講座スライドより]
ASDの研究会では、集団での会話の場合は車座になり、一人2〜3分の持ち時間を設け、時間が来たら次の人に必ず交替する方法を採用していました。早い者勝ちではなく、「平等に発話時間を配分する」ルールです。このルールの方がASDの人にとって話しやすい空間だというアンケート結果が出ています。
このように、当たり前だと思われているコミュニケーションの順番交替であっても、実は多数派向けにカスタマイズされたルールであり、それによって参加できない人がいるのです。
多数派は無意識に「これが普通のコミュニケーションだ」と考えています。しかし少数派とされる人たちは、その空間に入れない感覚を日々経験している。その違和感を出発点として、多数派のコミュニケーションを問い直す研究があります。それがソーシャルマジョリティ研究です。
他にも、「皮肉や嫌味の仕組み」「会話における“ちょうどよさ”の感覚」など、多数派が無意識に「これが普通のコミュニケーションだ」と当たり前としてきたものを、少数派の違和感を出発点として丁寧に明文化していく。そのような作業によって、ようやく「コミュニケーションの不正義」を是正する最初のステップになるのだと思います。