東京大学先端科学技術研究センター 協働事業
フツウ・ラボ 講座レポート
特別講座「マジョリティ特権って何?」
上智大学外国語学部教授・出口真紀子先生
講義日 2024-12-14
上智大学外国語学部教授・出口真紀子先生は、差別の心理学やマジョリティ特権について研究しています。「差別の問題はマジョリティ側の問題」と語る出口先生に、社会にひそむ抑圧的な構造についてお話を伺いました。
※本記事は、すぎなみ大人塾総合コース2024『フツウ・ラボ』で行われた特別講座より抜粋・再編集したものです。
このレポート記事は、実際の講座内容をもとに要約したものです。実際の講座が気になる方は、ぜひ動画から体験してみてください。
『特権』と聞くと、何を思い浮かべるでしょうか?
また、これまであなたはどのような場面で、『特権』という言葉を使ったことがあったでしょうか?
この講義は、『マジョリティ特権』についてのお話です。講義を聞いて、なんだか嫌な気持ちになったり、モヤモヤを感じたりすることがあるかもしれません。そのモヤモヤを書き留めるなり、意識してもらえたらと思います。
[講座スライドより]
『特権(Privilege)』とは、マジョリティ側の社会集団に属していることで、労なくして得ることのできる優位性のことです。言い換えれば、「努力の結果ではなく、たまたまある社会集団の一員として生まれたことで、自動的に手にする恩恵」です。
例えば、日本社会においては、異性愛者は性的マジョリティとして「法律婚ができる」「結婚をためらいなくまわりに報告できる」「結婚を公にすると祝福される」などの恩恵を自動的に得ていると言えます。
このマジョリティ特権は、「自動ドア」に例えるとわかりやすいかもしれません。
[講座スライドより]
目的地に進もうとした時に、目の前のドアがスイスイ開くことが当然なので、マジョリティに属する人間は、その存在に気づくことすらありません。
一方、マイノリティ性がある人は、幾度となく「目の前のドアが開かない」という経験をし、ドアを開けるための労力を強いられます。どれだけ時間やエネルギーを注いでも、ドアが開かないこともあります。
特権を持つ側はそれに気づかず、「前に進めないのは、あなたの努力不足なのでは?」「甘えているのでは?」と言ってしまいがちです。つまり、ドアが開かない原因を『本人の資質』に求めてしまいがちということです。
自動ドアを開閉するセンサーには、「差別」が備わっていて、その差別には3つの形態が存在しています。
1.直接的差別
個人間で、人種や肌の色といった属性をもとに排除やヘイト行為を行うもの
2.制度的差別
法律や教育、政治、メディア、企業といった制度の中でマイノリティが不利益を被るしくみ
3.文化的差別
「男は仕事、女は家庭」「異性愛・シスジェンダーこそ普通である」といった、特定の人々にとっては抑圧的に働く社会に根付いた固定概念や規範
小学生でも差別という言葉は知ってはいますが、学校で教えるのは、1つ目の「直接的差別」のみを想定した、限定的なイメージではないでしょうか。
『差別はいけないものだから、してはいけません』とスローガンのように掲げるだけでは、子どもは『差別は悪い人がするもので、自分とは無関係だ』と表面的な認識にとどまり、思考停止に陥ってしまいます。教育においても、構造や制度といった概念まで含めて説明しなければ、差別を根本からなくすことはできないでしょう。
マイノリティに属する人間は、日常的に差別を経験し、ステレオタイプ的な見方をされることが多々あります。幼少期を北米で過ごした私も、学校の授業で「マキコは日本人としてどう思う?」と、“日本人”や“東洋人”を代表しての意見を求められる場面がよくありました。隣に座っているジェニファーは“個人”としての意見を求められているのにも関わらず、です。
さらに、マイノリティ側は不当なことに対し声を上げると「マイノリティは文句ばかり言っている」と受け取られ、責められてしまうこともあります。
一方、マジョリティ側の人々の経験については、あまり語られる機会がありません。日常の中で差別や疎外感を味わうこともなく、個人として尊重されるので、自分がマジョリティであるということを特に意識する場面がないためです。
「特権」と「差別」は表裏一体です。一方に“普通の人”がいて、もう一方に“かわいそうなマイノリティ”がいるという分類ではなく、構造的差別に苦しむマイノリティと同じ構造の中に、全く差別を受けずに済んでいるマジョリティがいるというのが、より正確な現実の捉え方ではないでしょうか。
[講座スライドより]
特権を持つ側の人は、「自分には特権がある」とは考えておらず、その認識に抵抗を示す人も少なくありません。そのため、社会の抑圧的な構造を否定し、「差別なんてないでしょう」「被害妄想では?」と考えがちです。
だからこそ、私は『特権』という言葉を、もっと日本社会全体に広めたいと考えています。マイノリティにとって抑圧的な社会の構造を可視化し、認識しなければ、その構造を変えることもできないためです。
自分の特権に気づくためにおすすめしたいのが、日常のさまざまな場面で、「◯◯という特権が私にはある」と置き換えてみる習慣です。
[講座スライドより]
例えば、地下鉄で車椅子ユーザーやベビーカーを押している人を見かけた時。「大変そうだな」で終わらせるのではなく、「私には最寄りの地下鉄の出入口を何不自由なく使える『特権』がある」「エレベーターやエスカレーターの有無を事前に確認しなくても地下鉄を利用できる『特権』がある」といった具合に、自分が当然と思っていたことを『特権』という言葉で置き換えてみてください。他人ごとと考えていた差別を、自分ごとに変える一つの訓練です。
残念ながら、差別に関して『中立的な立場』というものはありません。
社会の構造そのものがマジョリティ側に有利にできている以上、何もしていないということは、差別の構造を助長するのに加担しているということを意味します。つまり、『消極的・受け身な差別主義者』であるということです。
だからこそ、マジョリティ側にいる人が自らの特権に気がついたら、ぜひ構造を変えるために行動する『アライ(味方・仲間)』になってほしいと思います。
そもそもマジョリティは、中立的、客観的と見なされやすいのです。セクハラの問題も、女性が声を上げるより、男性が「それはおかしい」と指摘したほうが信頼を得やすく、今の社会には、マジョリティの声のほうが真実らしく聞こえてしまうという現実があります。
裏を返せば、『特権』を持っている側にいるということは、それだけ「社会を変えやすい立場」にいるということ。その権力性を行使して、社会のセンサーを公平なものにするために、ぜひ声をあげてほしいと思っています。